リアルとアンリアルの境界

見た目を忠実にすればするほど

気持ちよい、悪いの境界が鮮明になっていく 気がしました。

日本の二頭身アニメが勇気を与え、涙を誘う・・・・つまりリアルでなくてもヒトケを感じさせることも出来る一方で、リアルすぎるが故に、少しのぎこちなさが、ロボットやCGを思わせ気持ち悪さに繋がる。

TEDでのVR最新情報を見て、比較しようもない昨日の自身のダンスを見て、どこに向かうべきか、見えたように思えます。

 

技術の進歩は


いずれその国の大統領や、首相を真似て政治混乱のフェイクニュースがいろんなユーザの手から起こっていくようにも思えますし、そもそも実在しないキャラクターが、世界中を魅了するVtuber(バーチャルと気づかない)になっている可能性もあるように思えます。

結局、発信する言葉に言霊、つまり魂が入っているかどうかは、見た目のリアル以上に、相手に配慮した「言葉」によるところの方が多いのではと思いました。宗教心その人が今まで歩んできた過程で、本気でやってきたかどうかが、ふるまいと言葉に宿るんだと、感じた次第です。

ということはどんなに技術を得ても小手先だけではダメ。人に伝えるということは、偉人のメッセージをもってきたとしても、その人の言葉になっていなければ伝わらない

そして伝わるということは、話す内容が纏まっていなくても、詰まりながらでも、話し手からの心からの声になっていさえすればいい。

たとえば車いすで自分一人では動けない、話せないという障がいボディを纏った人の一挙手一投足こそが、相手の心にストレートに響くのも今更にして 解るように思えます。

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