久々の古事記 清めたまえ、祓いたまえ の意味

古き良き歴史書を教わり、現代に生かす学びとするシリーズですが、やはり未だに身近な言葉は、ストンと腹に落ちるから古事記は優れた生き方指南書だと思います。

いくつかの言葉の意味

  • 罪:包むを意味する。つまり生命の躍動を包み込む
  • 穢れ(けがれ):気枯れ、生命力の躍動力が枯れること
  • 張霊(はらひ):霊が緊張すること
  • 清め:気蘇めを意味する。つまり気がよみがえること
  • 禊:水を注いで身体の垢を落とし身を削ぐこと
苦労をして修行し、身を削ぐことを意味する。削がれたところに「清め給え~祓い給え~」があって、神の力が流れ入ることによって生命力が再び躍動することを願う。

仏像がなぜ半眼になっているか

それは精神統一をしている姿だから。人も眼を開けば物が見えてしまう。目を閉じると妄想が沸く。つまり心が躍る=動いてしまうから精神統一どころではない。そしてその寸法が畳の寸法となったから言葉と単位がスムーズによどみなく繋がっていることが解る。

これは例えば日本の庭園は哲学がありヨーロッパの花壇とは根本が異なる。一つの樹、一つの石ころでもころを如何に生かして置くかというところに心が置かれている。童話作家 金子みすゞさんの「みんな違ってみんないい」、SMAPの「そうさ 僕らは世界に一つだけの花一人一人違う種を持つその花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」は宗教書に書かれた原点を現代流にしているだけと解ります。

国ごとの企業の人間の活かし方の違いそのものだが、この日本社会もいつの間にか契約社会や派遣文化が入ってからおかしくなったのも確か。

にしても手描きだからか漢字をたくさん間違えている。ワープロの悪影響だと言い訳しておこう(苦笑)

 

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