サムエル記 宗教の基本は 人を生かす教育

今日の聖書勉強会。

未だ何教でもない立場ながら、あらためて旧約聖書は、人類にとって素晴らしい教訓が書かれているなぁとあらためて感じた次第です。とくに西洋の歴史を深く学ぶことと同一だと確信しつつ、人間がやってはいけないことをあらゆる事例を通じて学べます。

たとえば神様は子供に親の希望の道を進ませるのではなく、神にゆだねる人を探し、求めるといいます。しかし難しい。だからこそ、早い段階で親が身ごもる前から、親の好きにならないよう、神を信じ神の仕事をしてもらうべく交渉するといいます。

 

伝達方法の変化

そもそも神様はアブラハムの時代は、直接メッセージを伝えていました。それが出エジプト記、モーセ以降、人によってその役割を仲介者を通じて伝える役割に変化させました。さらに現代は、聖書でもって伝える流れに変わっていると言います。

この変化の意味は、民に対してどうやれば一番伝えられるかという手段を、時代に応じて変化させているということ。

これは全知全能の神であっても直接、人間の精神までをコントロールできないことを意味し、親が油注がれたものであっても、子供がそうでなければ恨み、見捨てることもあるということをいいます。貴族の子は貴族、泥棒の子は泥棒と扱う西洋文化と相反する考え方が不思議です。

知らなかったのですが、スターバックスのシンボルマークは、穀物の農業の神、ペリシテの神 ダゴンがベースと言われ、神に偶像崇拝と忌み嫌われたものが使用されている不思議があります。

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興味深かったのは、ダビデが、背が高く誰一人倒せないと思われた戦士 ゴリアテをチープな武器で倒せたのは、自分の性質に真剣に誠実に向き合っていた証だといいます。彼は羊飼いだったからつえと石しかなかったけれど、神はそんな誠実なものが用いていたツールを生かすように動くということ。何よりも神はそういう誠実なものを選ぶといいます。最初から選んでいないこともポイントかもしれません。

これは神道の、道を行う行為とも通じる話であり、置かれた場所で咲きなさい同様に、得た技能=好きな技能を伸ばしていくことが貴方がこの世に生まれた役割だと言わんばかりの教訓の数々です。

 日本神道でも上位の神々は数百年単位で物事を見て事を為すといいます。太陽も一元生命、地球も一元生命、神も一元生命と考えるなら、範囲が地球を超えることはないと仮定すれば、球が滅ばず発展する様な政策が最上位。

そのためにあらゆる分野で行う人が求められているのかもしれません。やはり宗教の基本は、人を生かす教育であって、けっして個人の現生利益追及や、お布施を強要するものではないことが解ります。

 

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