堺、住吉大社、四天王寺–>自宅へ 約12キロ

朝から歴史研究会のメンバーで散策してきました

もちろん日本有数の場所ですが、これだけ歴史の起点にある街、建築物、文化の数々がこの大阪にあって、一日で見て回れる気軽な位置にあることを嬉しく思った一日でした。

あらためて日本の歴史は、近畿にあって、難波宮から一直線に、数々の歴史的建築物が連なっている。
ちなみに堺は堺祭りで、あちらこちら、イベントで撮影した場所を練り歩いてふとん太鼓の賑やかな御神輿を思い出しつつ、軽やかに歩を進めることが出来ました。

聖徳太子がつくった道は、確実に現代に渡され、脈々と(気持ち悪い万博のギャラは別格)続いていることに、不思議さと、神々しさを感じる事が出来ました。

 

職業も国も宗教も関係なく受け入れてきた日本

各拠点には、歴史に詳しいベテランの旅ガイドさんがいらっしゃって、効率よく、知りたいことを質問しながら、全体を回れるありがたさを幹事さんに感じつつ。

 

最後の四天王寺では、毎月21日・22日は大師会と太子会ということで、今日は弘法大師の大師会(弘法大師忌)で、聖徳太子がメインのはずがいつの間にか、弘法さんになっている奇妙さも感じつつ、足下が悪い中、外国人も多く、現地はとても賑わっていて、ある種、人が喜ぶのであればなんだって採りいれる懐が深い日本を味わいました。

きっと昔からそうだったのでしょうね。

 

金剛組の元祖

四天王寺の宮大工である金剛組は、百済からの職人を、聖徳太子が招いて、その3組中1組が残り、現存する最古の会社だというから、不思議さを感じます。

天候はといえば、ジンバルを持ち出したにもかかわらず、小雨が降ったりあがったりで、まさにケガレ・露払いをしつつ、歩いていく行程、傘をたたんだり、出したりと晴れ男を自負する者としては カメラ片手になかなか珍しい運用をすることになりましたが、機械は調子よく、無事最後まで稼働してくれて良かったです。

もちろん、四天王寺さんを出るときには 天晴れでした

気がつけば 12キロを歩いていた今日もよく眠れそう気がします。

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