中国 四書五経の最高の学問と言われる中庸。いつもの勉強会で学んだことの防備録です。空堀商店街の珍しい店と共に学びたいとおもいます。(笑)
君子の道、中庸の道
- 本来、道は身近かなものである。
- 決して人の性質から離れたものではない。
- けっして選ばれし者しか出来ないのが道ではない。
冬に滝に打たれて修行だと、人と違うことをして自分に酔うことは簡単。当たり前の中にあって、道にいきることこそ、簡単のようで難しいことなんだ。
食えないものに食を与え、智慧あるものには、機会を与え、哲学を与え道を整え、この国の理想を明文化した。
人の道つまりは誰もが熟知でき得る中庸の道を以って修める
人々の性質や特質からかけ離れた法を改めることが出来れば、余計な混乱は収まり、治めずとも自然と人が自ら治まっていく。
君子は人を治めるとき、人の道にのっとり、自らが治まって行く様にする。この人の自ら治める道に、法や規範を改めることが出来れば、自然と秩序ある世界に治まって行く。
「この様にあるべき」「これをしてはならない」などと一部の君子しか理解できないものなら、誰もがわかる人の道から離れてしまう。
そうすると、どのような法や規範を立てようと、道が行われることはない。
つまり、当たり前の道を道とすることが出来れば、誰もが道を行うことは容易となる。
現代の問題点の数々
東芝の不適切会計問題しかり、安部法案しかり、やみ雲に方針だけを立てて、従えというのは、上記君子のありようの真逆をいっている。
上司の意向に逆らうことができない企業風土、国民にしっかり説明責任をはたすことが出来ない政治屋。なぜ増収増益、当期利益を最大にすべきなのか、それで取引先、クライアントはハッピーになっているのか、子会社に無理はないのか、心を痛めた社員は来年もがんばれるのか。
米国が既に防衛費を減らしたからなど、国同士の交渉ごとに問題があったなら、なぜ問題の根本そのものを、解りやすく国民に説明できないか。
自分達だけが解って、庶民は解る訳はないとバカにしているのか、いずれにせよ、人々の性質や特質から離れた法で、秩序が保たれるわけがない。
ちなみに、道とは・・・何かをなそうとして何かを真摯に追求し、それを極めることを求めていく姿。日本では己の中に眠る 己としての理想を掘り起こし、追求する。極めた先ではなく、その過程にこそ哲学が宿る禅定型の考え方に近い。中庸(ちゅうよう)を少し学ぶだけで、やってはならないことがたくさん得られる。 |