渋沢栄一の論語と算盤 ちくま新書

例によって読書感想文を書いていますが、改めて明治の立役者として、いろいろと参考になることが多いですね。

一見、フリーメンソンで操られているだけのように見えつつ(お札になる人は何かとある)、しっかりと日本の商工業を盛んにすべく、武士が持っていた儒教などの学びを、算数しか学ばなかった商売人に、展開していったことに驚きを感じています。

いずれにせよ、どのポジションであっても、国家感がなければやはりダメですね。森さんの女性軽視が叩かれてますが、原文を見ると女性を称えているのに、切り取られて真逆の意味になってる。本人が言い訳しないのもあるが、明らかに誤誘導が醜く、怖い。政治的に中国との蜜月に注意してきた彼を止めさせる策略の背後に中国の手が入ってると思える。

以下、興味ある部分だけ、項目だけ列挙します。

 

p.127
人が動物と異なる点は、道徳を身につけ、知恵を磨き、世の中のためになる貢献ができるという点にある。これによって初めて真の人だと認められるのだ。

p.130
興国安民法というのは、二宮尊徳先生が相馬藩に招かれたときに考え、遺されたもので、相馬藩繁栄の基盤になった財政や産業についての方策である。

p.138
だからこそ、自分を磨こうとする者は、この点をよく心にとめて欲しい。決して極端に
走らず、中庸を失わず、常に穏やかな志を持って進んでいくことを、心より希望する。言葉を換えれば、現代において自分を磨くこととは、現実のなかでの努力と勤勉によって、知恵や道徳を完壁にしていくことなのだ。つまり、精神面の鍛錬に力を入れつつ、知識や見識を磨きあげていくわけだ。しかもそれは自分一人のためばかりでなく、一村一町、大は国家の興隆に貢献するものではなくてはならない。

p.151
キリスト教
自分にしてほしいことを、人にもしなさい

孔子
自分がして欲しくないことは、他人にもしない

一見義務ばかりで、権利の考え方が、ないように見えるわけだ。

p.180
そこで商業道徳の要であり、国家においても、世界においても直接的に大きな影響のある「信用」の威力を宣伝していかなければならない。日本の商業 に携わる者すべてに「信用こそすべてのもと。わずか一つの信用も、その力はすべてに匹敵する」
ということを理解させ、経済界の基盤を固めていくことこそ、もっとも急いで取り組まなければならない事柄なのだ。

p.182
それ以前の日本は、中国や西洋にもかなりの接触を図ったが、たまたまイエズス会士が、日本に対して恐るべき企てを隠しているかのように見えたことがあった。また、キリスト教によって国自体を乗っ取ることを目的とする、といった書面がオランダから来たりもした。このため、海外との接触をまったく絶って、わずか長崎の一部分においてのみ貿易を許す一方で、国内を武力で完全に守り、統治したのだ。

182.
自分を磨き、よき家庭をつくり、国を治め、天下を平和にする」という段取りで統治していくというのが幕府の方針であった。このため

「仁」ものごとを健やかに育む
「義」みんなのためを考える
「孝」親に尽くす
「弟」目上に尽くす
「忠」良心的である
「信」信頼を得る
といった道徳の王道を身につけていった

p.187
未熟ながらも親不孝にならずに済んだのは、父がわたしに孝行を強制せず、広い心でわたしに臨み、わたしの思うままの志に向かって進ませてくれた賜物なのだ。
孝行は親がさせてくれて初めて子供ができるもの。子供が孝行をするのではなく、親が子に孝行させるのである。

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