光と影 黄金の稲穂

何かを揶揄するような変な意味ではなく、純粋な景色・写真の話です。

今年2回目になる11/25の石光寺さんのヨガイベントポスターが出来上がり、配布分担も兼ねて、ヨガの先生住職と打合せをしてきたのですが、さすがの大雨・大荒れでびしょぬれになってしまいました。

ビジネス、遊びに関わらず、なぜか撮影機材を持っていると天気が晴れるのは健在で、お寺を出る12時過ぎにはカラッと晴れていて、今回の奈良の台風の影響は少ないのかと少しほっとしました。昨日思いついた どうせ奈良に来たのだからと、奈良県芸術祭の他のイベントも見てみようということで、五位堂の方へ徒歩で向かいました。

 

25万株

それはちょうど見ごろの約25万株の花の祭典というキーワードに惹かれ、広陵町の奈良県営馬見丘陵公園というところにバスで向かうためです。1時間に1本のバスは、バス停到着時点で運悪く30分後を指し示していましたが、なぜか数分後に臨時バスがきて、パンをかじりかけの状態のまま導いてくれました。イベントに合わせて、特別なピストン輸送の手配がされていたのでしょうね。

その帰り、ふと田畑のある農道を歩きつつ、夕日が沈む原風景を見て、ふと単純に美しいと思った次第です。

その美しいと思う感情は、一日が暮れようとする寂しさなのか、自然の光を失ない人口光になる悲しさなのか、はたまた日本人の食を担う稲穂が黄金色に輝くからなのか解りませんが、いずれにせよ光と影、そのどちらが欠けてもダメで、そのコントラストが強ければ強いほど人は立体感を感じ、その中に共感して行けるのだと思います。

決してブランドなど、作り手や作品に対する事前情報がなくても、美しいと思えるのですから、きっと本能に擦り込まれていて、これを味わえなくなると無機質になってゆくのかと思わず感傷に浸ってまいました。京都もいいけれど奈良の方がゆっくり出来る感覚がさらに増した感じがします。

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