会社概要

企業名株式会社ライフインパクト
設立2007年3月14日
所在地大阪府大阪市中央区内本町1丁目4-6-404
電話06-6949-3113
FAX020-4624-5709(DFAX)
代表取締役三志多正博(みしたまさひろ)
業種・全国映像サービス
・全国カメラマンを使った新しいサービスの開発及び作業
・ライフに関わるインパクトある商品の販売
提携クリエーター全国450名(2019.1.30現在)

取引先

  • UCC上島珈琲 株式会社
  • UCCフードサービスシステムズ株式会社
  • 公文教育研究会
  • 株式会社鳥貴族
  • 株式会社 新通エスピー
  • 南御堂(難波別院)
  • 堺商工会議所
  • 大阪商工会議所
  • 伊丹商工会議所
  • 日経BP社
  • 京王アートマン
  • 株式会社Paltac
  • 株式会社イフ
  • 株式会社清香苑
  • 株式会社ビックスマイル
  • e-logit 株式会社
  • 特定非営利活動法人 日本クリニクラウン協会
  • 西部技団 紳士服技術ゼミナール
  • その他

沿革

代表者 職歴・経歴など:三志多 正博(兵庫県赤穂市出身)

1992年4月 メーカー系システム会社に入社。以降、技術営業(セールスエンジニア)としてグループウェア、LAN、インターネットシステムの提案、構築、保守、教育を現場で実行。10年間で年商100億円以上の顧客約200社を担当。SE歴7年、営業歴3年。
2002年3月 大阪産業創造館 うりうり教習所にてネットショップ技術を習得
2002年7月 フリーランスとして独立し、Web、映像等様々な仕事に従事。
2004年12月 写真、映像カメラマンの派遣ビジネスを2名で設立(取締役に就任)、全国カメラマンネットワークを構築し、ビデオプロデューサーとして、日経BP社映像プロジェクト含め、2年で250件の手配、制作を実施。
2007年3月14日 株式会社ライフインパクト設立

会社への想い

映像業界をもっと安定させたい

SEを辞めて、映像業界を学ばせてもらっていた当初、先輩カメラマンや音声さんに、なんでこの業界に入ったん?といつも聞かれ不思議に思っていました。それが電話でのやりとりを聞いて理解できました。

まだこの業界やっているか? おお良かった。そしたらある案件があって・・・」

とても不安定な業界。かつてカメラマン登録頂いたゴジラ映画の撮影カメラマンが、フィルムの仕事がなくなりコンビニで働こうかと言っていたことを思い出しました。もちろん商売だから淘汰は理解できます。しかし、その道一筋 何十年も専門にやっていたところがつぶれて、翌日から別の職探しにいくっていうのは 何か日本の大きな財産損失に思えて仕方ありません。しかもタブレット、スマートフォン時代、コンテンツビジネス真っ盛りになるこの時代にです。

映像業界をもっと安定させるべく、私のできることを努力していきます。ひとりでは小さなことしかできませんが、全国のカメラマンが一斉に集まれば大きなことが出来ると思いついた後は、とてもわくわくしています。

技術財産の損失

財産の損失と同時にビデオカメラマンのやるべきことだと確信した記事です。

「弟子はビデオカメラ」

新潟県中城町 日立産機システム社
技能工歴30年、金属の表面加工や組み立てで
総理大臣賞も受けた腕前をもった社員がビデオカメラの前に立った。

ヤスリを持つ手を小刻みに滑らすと、
数千分の1ミリの凹凸は 鏡のように平らに仕上がっていく。
「匠の技」の実演をカメラが追う。
撮影は「技術を次代に残したい」という日立の計画の一環。
手取り足取りで伝承してきた技を、
たかが動画で伝わるか を考える余地はない。

新人配属が8年間ゼロ。伝えたくても相手がいない。
技術が消える恐怖より、どんな形であれ残るほうが・・・
という思いが、カメラという弟子に思いを託す。
(日経新聞2004.5.27朝刊より)

大手でもこうだから東大阪、大田区の中小企業は? 想像は難しくないと思います。
ビデオカメラマンがいないところをサポートしたいという想いが強く芽生えました。

事例を通じて

バナー:日本クリニクラウン協会

いつ命を失うかわからない

オランダで始まった自由を奪われ、落ち込む子どもたちから、子どもらしさや好奇心を引き出し、取り戻す活動を日本でもと始まった日本クリニクラウン協会(NPO)さん、まさに立ち上げのころ、プロモーションムービー制作で関わらせて頂きました。

「メディアは自分たちが言いたいことが伝わらない」「ピエロ=道化師=お笑い 要素にされるが、クリニクラウンは悲しいときにも子供に寄り添う」など、代表の人から直接お電話を頂き、とてもうれしかったことを覚えています。しかし撮影現場は、いつ命を落としてもおかしくない小児科病棟で立ちすくんでしまいましたが、子供たちはとてもにこやかで、逆に勇気をもらいました。

働くとは何か

会社設立後、脳性まひで車椅子、会話不能、複数のお友達とルームシェアする女の子のドキュメンタリー映像制作の依頼を受けました。20歳で大学に通いながら、別の大学で非常勤講師として、また保育園で契約職員として保育補助などを行う彼女。ほぼ毎日外に出かけ、ヘルパーやその仲間を、1年間追いかけました。

ドキュメンタリーは初めてのことでいろいろ戸惑いましたが、環境に恵まれなんとかDVDが完成しました。とくに、働くとは何か、障害とは何か、人間の尊厳とは、という大テーマを、同級生や、小学校時代の先生、大学教授、バイト先の保育所、民間のヘルパー会社へのインタビューを通じていろいろ学びました。

その後、ある会を通じて今井純子さんを知りました。
さらに岐阜の清香苑さんとのご縁を頂きました。地元を中心とした活動を行い、葬儀会社でありながら、現地ソロプチミストを設立し、ご先祖の縁や絆を大事にする活動を行っておられます。我々は特に企業様の創業者の思いを伝える活動に関わらせて頂きました。(周年ビデオ、お別れ式 での自分史映像等)

設立趣意

写真:株式会社ライフインパクト 代表取締役 三志多正博
代表取締役
三志多 正博

セールスエンジニアとして、メーカー系システム会社に就職。幸いなことに年商100億強の企業約200社のコンピューター部門を10年に渡り、営業、SEとして経験させて頂きました。マルチベンダー、オープンシステムが始まろうとしている時代、まだ一部上場企業でもLANってなあに?メールって何が出来るの?という時代に、まだ当時は小さかったオラクルや、ノベルといった企業にお声がけして、ソフト貸出しや人を出してもらい、いっしょに新しいものを提案しましょうのソリューション提案をしていました。

2002年、メールの添付ファイルに写真がつくと知り、衝撃が走りました。映像がのっかるようになれば世の中変わる。今しかない と考え、新しいもの好きで仕事は面白かったものの、6ヶ月の引継ぎ期間を経て、同社を退職しました。32歳の夏でした。その後は、商品PRの現場やコンサートなど、プロ現場を体験しながら全国ビデオカメラマンのアイデアを思いつき、仲間を集めていきました。あるセミナーで知り合った人と映像・写真関連の会社を設立しました。この中でプロデューサー、ディレクター、カメラマンとして、いろんな映像制作に関わり、映像のおもしろさと可能性を感じました。と同時にそれを作り上げるスタッフや関係者を取り巻く環境についての問題点も見えてきました。

より映像サービスに深く根を下ろし、映像関係者と、お客様にとって よりよい進化を求めるべく独立を決意しました。そして2度目の法人を興す前に改めて、やってきたことをフカンで眺め、映像がやれること、やるべきことははたしてなんだろうを真剣に考えました。

考えて出た答えは、人や生活に対する「残す」「伝える」「楽しく」でした。そこにiPhoneやタブレットなどの携帯機器や、インターネット技術を用いた低価格の遠隔生中継、全国カメラマンネットワークによる素材交換の仕組みなど、数々のIT技術革新+αのエキスを加えることで、今までにない新しい文化が生まれるのではないかと。

そういった耕して循環し、やがて文化になるという意味をこめて英語で、Cultivate and Sustainableをロゴに付加しております。そして社会貢献や、関係者の地位向上を目指せることを信じ、ライフにインパクト をかかげて「株式会社ライフインパクト」を設立致しました。

実は会社設立日にもこだわりがあります。3/14 午前10時ごろです。この日は、あの有名な浅野内匠頭が江戸城 本丸御殿 松之大廊下において、吉良上野介に斬りつけた松之大廊下(まつのろうか)の刃傷事件と同一日なんです。(元禄14年3月14日午前10時)。

前の会社は、12/14設立。決して 何かを世に問いかける といったおおげさなものではありませんが、今回も播州赤穂出身の人間として、何かを興す時に先祖達と関連づけをしたかったのです。信頼できる方とお仕事をしたいと思っております。忠義心だけはあるつもりですので、どうぞよろしくお願い致します。