音に合わせて身体を動かすダンス

太鼓の昔から、人類は音に合わせて、本能で踊り喜怒哀楽を表しました。

 

ヒトの本質は変わらない

改めて世界を眺めると、音と踊りは発展途上国だとか先進国とかといった上から目線で作った境界とは無関係に、自然発生的に深く民族に根付いています。むしろ火を焚いて、身体のペイントや冠、首飾りなどを装飾し、身体全体で歓迎のダンスをする民族をTVなどで観ると、なぜか 嬉しくなります。

日本でも相変わらずお祭りは人気があり、大人から子供まで参加出来る行事になっています。遺伝子の中に流れる太古の記憶が躍動し、タイコのリズムで血液が沸騰するのかもしれません。もっとも、日本神道では、本来は 神=自身の身体の中にいるものですから、名実ともに、身体が踊るのでしょう。(いつの間にやら自分に向かわせることをやめさせて、偏差値などの比較に持って行った教育の大罪が精神の病を増やしているともいえます。偏差値の良い絵描きは絵描きでない。頭のいい相撲取りは相撲取りでない。庶民を勇気付けたり心を打たないという意味で。(笑))

imageもちろん、我を忘れて踊るということは、仏教的に言うと、つまらない知恵を捨てて、流入してくる仏の智慧に預ける(他力本願)といってもいいのかもしれません。たかが人間が考えられることはしれていると。(バリ島の民族舞踏で聖水後の清らかな女性に、神が乗り移りお告げを告げるということにも似ていますね。)

とにもかくにも、神と真心を釣り合わせるからお祭りであり、特に、神も人も同じ立ち位置にいる日本神道の考え方では(神にも上下関係があり、そしてそれぞれの命を生きており、失敗も叱られも、死んだりもする。)、嫌なことも忘れて、みんなが一緒になって無心で踊って楽しみなさいということ。人間の目に見ている方向がわかる白目があるのも、コミュニケーションが義務化されているから。たとえ無言だとしても、踊りはそんな本能までも呼び覚ます効果があるのだと思います。

ハレ、ケの節度があったから成立したこの古き良き流れも、金持ち=エライと、毎日酒を飲み、ご馳走を食べる流れにしてしまったから、神は居所がなくなり、規律が守れなくなった人間が増えたのだと思います。そして運動せず、肉欲で乱れた身体をみんなでサポートするために、医療費が上がる状況はなんだかなぁという気分になります。

 

恋愛の踊り 社交ダンス

社交ダンスとは、その中でも男女間の恋愛気分の本能をあぶり出すのではと思います。

残念ながら、日本発祥でないから 必要以上に高度な技術を覚えさせようとする教室があって、難しいという先入観を植え付けてしまう。本来は、簡単なステップを繰り返すことで楽しく上手くなる。頭でなく身体で。踊るのみで良いのに。

改めて 社交ダンス = 社会の交わりなんだと思いました。

ということで健康ビジネス真っ盛りの今、ひとつの長生きの秘訣に、自身や企業提案のための忘備録に、少し調べたことを、纏めてました。

<国際感覚>

  • 国際会議では合間や終了後にダンスパーティー開催
  • 欧米人は幼少期から家庭内のダンスパーティーで習う。
  • 音楽は生バンドが 主
  • ブルースだけで世界中のパーティーに参加できる

 

<高齢者>

  • 実年齢より体も心が10歳若返る
  • 長生きするひとは60代で始めている
  • 何才になっても人の言うことに耳を傾けられる謙虚さ、素直な心
  •  異性とのスキンシップで若返りの元
  • いつまでも美しく若々しく
  • 目標が出来、人生や、生活そのものにハリを与えてくれる
  • 老いない
  • ほどよい強度の有酸素運動
  • 心臓、肺、血管機能を高める
  • 高齢者に多い筋肉が衰えるサルコペニア予防に
  • 考え、覚えることで認知症予防(男性は女性の動きを読んで行動を起こす)
  •  瞬時に考え動くため脳の刺激がある、

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