徘徊老人防止と医療費削減の考察

えっもう12月?!
と感じている人はますか?
私もその一人、ほんと考えられないスピード!

これが毎年、年老いていく度に続いていく...という。若い時には感じてなかった感覚だが、いったいいつから抱くようになるのだろう。どこかに山があるとすれば何歳?!

 

人間には防衛本能がある

道頓堀川でツリー?!口を通して異物や菌が体に入らないよう、脳でいちいち意識しなくても、人間は自動でいくつもの防衛手段を講じている。切り傷などの皮膚を通しての混入に関しても同様だ。

脳にも同じことがいえるのではと思う。

たとえば年を取ると物事を忘れやすくなるという。しかしこれはデメリットだけでないはずだ。

たとえば連れ合いや、知人、友人が先立ってしまうなどの不幸が重なったとして、記憶がいつまでも鮮明すぎると、悲しみが深くなりすぎて、何も手につかず、正常な人でも気が狂ってしまう。

 

道頓堀川の真ん中にクリスマスツリー?

道頓堀川の真ん中にクリスマスツリー?

その年代の人に聞いたが、定年などで社会から距離を置く期間が長くなれば長くなるほど、つらいものはないという。仕事人間ならなおさらたと。同じ部署の仲間といっても家族的な付き合いをしていなければ、次第に離れてしまう。

定年後、最初は自由を満喫しても、次第にやることがないことに気が付き、会社以外の友人、知人を作ってこなかったことに後悔するという。

ボランティアなど居住地付近の社会活動などに参加していれば、ここから突破口はあるようだが、社交性がなかったり、無趣味だったりすると、さらに真面目すぎたりすると、殻が破れず、引きこもってしまうといいう。

 

社会全体の問題点

せめて囲碁やゴルフなどの遊び仲間でもいればまだましだが、そうでなかったらとても先が怖い。

地方や都会に関係なく、大きな社会問題と言われているものがある。そう、徘徊老人である。

体力がある人ならとんでもなく離れた場所で発見されるという。見つかればいいが、身分の証明書を肌身につけていないとすると見つけた地域や、その家族、関係者、当人全員、不幸極まりない。

 

なぜそんなことがおこる?!

精神から体に来る病と、外出しないなどの運動不足からくる精神的な病。どちらの方向からもあるだろう。

本来、村の長老などは翁(おきな)として、先祖からの言い伝えや、貴重な経験から教わるものは多かった。これは一サラリーマンのおじさんでも、それなりに生きた人なら伝えるべきなにかを持っていると思う。

しかし、おじいちゃん、おばあちゃんと二世帯で住まなくなった核家族化や、ネットの発達で聞くより画面に聞いた方が早くなったことが、ここを寸断した

おじいちゃん、おばあちゃんは役割が減り、社会のお荷物のように、介護問題で騒がれ、肩身が狭くなる。友人、知人も減ってゆく。

一方で、若い夫婦の一人息子が患った病気でも、ネットの結果をそのまま鵜呑みにして右往左往する。子育ての先輩に聞いたら一瞬で解決することが、子育てでノイローゼになる若夫婦が出来上がる。

まさに寸断だ

 

どうすれば

平成24年、医療費が39兆2,117億円に拡大し、国の財政を圧迫の限度がきて、2015年度は、健康食品などの規制緩和がされるという。

しかし、先の家族が一緒に住む、ネット依存しない。面倒に感じてしまう人付き合いを見直す、ことが健康寿命をアップし、医療費を使わず、かつ良い社会になる近道のような気がしている。

バリ島ウブドではボケ老人はおらず、家族で支えているという。やはり昔の日本が一つの解決モデルになるのだと思う。

兎にも角にも、人間はある年齢を迎えると脳や体全体が自分の死に対してゆっくりと、準備を始めている。趣味が仕事!という方、ぜひ今のうちに、いろんなものに興味を持とう!

ちなみに、身近なお年寄りは皆パワフルであり、恐らくあれもやりたい、これもやりたいといろんなものに旺盛だ。社会に必要とされているというモチベーションや、あれを成し遂げたいという強いワクワクをいつまでも持ち続けたいものだ。

 

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