阿弖流為(アテルイ)伝説を被災地復興の糧に

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Ustream配信映像(部品をPhotoshopレイヤーみたく重ねる)

1200年の時を超え東北の英雄「あてるい」が今よみがえる!

と題して、第3回公演 火怨の蝦夷「 阿弖流為」を若者が演じる公演に撮影部隊としてお邪魔してきました。

 

阿弖流為のお話

主催は、ひらかた肝高倶楽部。枚方の地で最後を迎えた主人公だが、決して悲劇ではなく、民族の命が途絶えるかもしれないという史上最大の苦難があってもあきらめない。

そして誇り高い(肝高き)アテルイの生き様は、見る人の胸を高ぶらせると共に、未だ逆境から復興していない東北を応援するものである。

先日、図書館で借りた別冊宝島「絵巻物と写真でわかる日本史の出来事」にも次のような簡単な記述があった。

朝廷に抵抗したアテルイ。平安時代初期の蝦夷(えみし)の族長。古代に北関東から東北・aterui2北海道にかけ居住していた人々を指す。蝦夷支配を目論む桓武天皇は、度々軍勢を差し向けたがアテルイの抗戦で目的果たせず、征夷大将軍 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を派遣して、胆沢(岩手県)を制圧し、アテルイを降伏させ、処刑した。

この対蝦夷(えみし)戦争は、10万人の朝廷軍に対し、500人だったとされた。・・・以下略

 

枚方の地で実施されたという処刑の仕方が強烈だ。首から下を土に埋めて2日間、のこぎり引きというから、時の権力者のやり方にむごさを感じる。ハラキリ、詰め腹といった武士道精神なんてない。

 

老朽化施設でもネットぐらいは・・

そんなまさに延暦20年(801)年の史実であったアテルイ伝説だが、偶然にも本日は、播州赤穂の義士祭(忠臣蔵の討ち入り)の日であり、ふと発生した国政選挙の日であり、鎮魂と復興応援、そして忠義のイベントが重なったものすごい日になった。aterui3

そしてやはり現代も民のことを考えた政治がなされていないことに、こみあげるものがあった。

ちなみにUstream配信は、結局中途半端に終わった。言い訳をさせてもらうなら、いくつもの試行錯誤の末、時間切れで配信を断念した。

古い施設とはいえ、施設設備の拡充、リニューアルが議会にかけられたが承認が得られなかったそうだ。もっともネットを開通する話が出たかどうかは定かではないが、とにかく相変わらず持ち込みのWi-Maxルーターを使うことになった。

計測したら転送レートが64kbps、128kbps、300kbpsと揺れている。いつもの800kbpsHD画質は出来ない。それならとSD画質300kbpsを狙ったが、電波がなくなり、あえなく沈没した。(配信は不安定ながら出来たようだが、リモート録画機能が、途中でハングアップした)

もっとも、配信ソフト側でSDカードに保存したので、データはあるが、少数精鋭体制でのボランティア収録&配信だったため、配信側に時間が避けず、PAさんからもらったCANONステレオケーブルの音声品質を活かせなかった。

 

市政、国政は誰のもの?

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一方で資産家さんがご好意で美術館を建設するらしいが、以降のメンテナンス費は市の税金でまかなわれるという??の議会、市政運営を聞いて驚いた。詳細は聞いていないので、うかつなことは言えませんが、あくまでもたとえ話、老人の愚痴として想像で書きます。

確かに現地は施設扉は機密性がアップし、耐震対策が施されキレイになったというのに、生中継向けのネット回線1つ引けないとは、やはり悲しい。

市民に広く伝える、観光需要を呼ぶという点では、美術館も同じ装置ではあるものの、広がり方、規模が違うだけでなく、金額が桁違いに違うのに、安いほうが、収入源になりかつ、大ホールから世界発信さえも可能になる。という発想はないのか、食費は削って、ゴルフのクラブには何万もかけるパターンなのか、とても複雑な気持ちになりました。

もうハードウェアにお金をかけるのはよしませんかねぇ。仕事を手っ取り早く生むことは理解できるけれど、依存しすぎると、外人さんどころかロボットに仕事を取られる。マルチコプターひとつとっても、大勢でぞろぞろ現地視察しなくても、GPS動作に沿ったロボットが人間の変わりに、上空からのわかりやすい写真や映像を取ってきてくれる。

どの市町村も、個人の購入マンションのような積み立てをいっさいしておらず、税と国からの補助金などで賄う必要がある。しかし現代、蓄積&余裕のある市町村はほとんどなく、市が所有する施設そのもののあり方が見直さないといけない時代が来ていaterui5る。本気で統廃合しないと税金を30%アップしても過去のハード資産は維持できない。

耐震は国が補助したというが、子供や老人が関わる施設以外のメンテナンスはおざなりという。

一方で子供たちが寒い中、薄着で大声を出して練習の成果を披露している姿と、それを見守る大人を見て、伝えるってお金はかからないんだと、思い知らされました。

感動に新しいも古いもない。今日の公演でも再び涙してしまいました。ストーリーが深く、長セリフを覚えて言い切る小さい子供をみて、未来のたくましさをも感じました。

 

 けっして我々が子供に面倒を見てもらうのではなく、行政だけの責任するのでなく、自身も含めて、住民その他、すべての大人は、将来の子供にツケを残さないように、新しい需要を生む手段を脳みそかっぽじって考えないといけないと強く思いました。

 

 

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