目の前に現れた人は師匠なのか

ある世界最大のNGOとやらの看板をかかげて募金活動している30歳近い男性が、ひつこく詰め寄ってきたので、知り合いが質問した。

  • あなたが組織の一員と証明するものはあるの?
  • おたくの組織は、世界最大というけど、何人の組織なの?
  • その活動でどれぐらい募金しているの?
  • 原価率、つまりあなたの上長が給与を引いたとして、いくら集めて、いくら募金にまわるの?
  • あなたはどらぐらいお駄賃をもらっているの?
  • 1日炎天下でがんばっているけど、一日それでいくら集まるの?

そのほとんどに答えられなかった彼に、知人はこうアドバイスした。

 あなたが募金を集められない理由は上記の質問に答えられないから。たとえば証明できないなら、渡したお金をもっていくかもしれないじゃないか。とても失礼だけれども、炎天下でその立派な図体を、ただ立ってるだけというのはどうだろう。そんな苦しそうな顔をするなら、もっと涼しいところでアルバイトするとか、あなたの能力を活かせるものを探すとか、その自分の汗で稼いだお金を寄付した方が効率がいいんでは? と。ボランティアが悪いとはいえない。しかし30近くなって、自分探しはいいけれど、3千円のお駄賃で長時間ぼーと立って一日1万も集まらない募金活動したり、五体満足のボディーを持ちながら、お役立ちしたつもりになるよりも、もっとやるべきことがあるのだとしたらどうだろう。

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なるほどと思った。

仏教や神道の教えも、政治家が滝に打たれることを意味あることという人は少ない。政治家は政治をしているときが修行である。もちろん禅寺のお坊さんならひたすら座ることが修行だ。

人は自分の本来与えられた役割を果たしてこそ、生きる証になるし、修行になるのである。修行は「しゅうぎょう」、つまり行を修めると書く。

一方で、案外世の中、深く考えず安易なところに流されていくのだと、自らも含めて反省させられた。

魔が差すとは、自分の道・目標としたところと、自身の心との間に、隙間が出来ることで、油断ができる。ここに魔がさすのだといわれる。

 

お金がかかるセミナー

そして案外、世の中、えっと思うぐらいお金のかかるセミナーに人が集まっていることも知った。

いっとうしょうぐう(一燈照隅)ってあなた知らないの?
と半分、笑われたような言葉を聞いて、はて・・・と思い、よくよく考えたら、伝教大師 最澄の言葉「一隅を照らす、此れすなわち国宝なり」じゃないかとわかった。でも一燈照隅 万燈照国とも書くんですね。調べると、最澄が言ったとの引用がなかったりするのは、忘れたのかそれとも。

勉強になった一方で、世の中にはぱくって、いつの間にやら、自分の言葉のようにして使う人が多いんだと思う。もちろん困っている人に届けば、別に構わないと思うけど、これがお金儲けとか、会員組織に役立っていると聞くと、空しさを感じる。怪しい新興宗教みたく、創始者にいいように、道を学ぶ神道や仏の教えが捻じ曲げられる恐れがある

そうそう、経営者に向けたセミナーなど、たとえば、「心を空しくする」とさりげなく現代人が発した言葉っぽくと書かれることもあるが、これも般若心経や、聖書に書いてある言葉だ。

ネットワークビジネスも同じ危うさを感じる。あなたの将来、絶対お金が足らなくなるから、将来好きなことをするために、今お金を儲けよう。NO1クラスになると・・・・という夜な夜な練習して練りこまれたストーリーが、社会デビュー素人に襲い掛かる

人は未知で儲かりそうな話に興味がいくのは間違いない。それが友達からの紹介で、一等地にビルやテナントを構えている会社なら絶対そうだと思う。しかしなぜあなたに声がかかったのかということを、考える必要がある。

そして甘い話には、肝心なことが抜けている。なぜその商品を扱うのか。儲かったら何でもいいのかという疑問である。人の人生なので、否定も非難もしないが、人生、やるべきことが必ずあるのだから、はたしてそれなのかと。

多いのが、ある人に感動したからと、その人を信じるのは稚拙な行為だ。なぜなら業界のプロは心理学を勉強していて、こうすればああなる を積み重ねる百戦錬磨だ。

しかし、防ぐ手立てはある。
このネット時代、引用元を見つけたり、その会社の評価を探すのは案外簡単だ。すごい製品であれば、競合他社を尋ねるのもありだろう。

この人すごいとお金を振り込む前に、ネットでその言葉を見つけるべきだ。
そしてまともな人に歴史や生き方を学ぼう!願えば出会うはずだ!

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