蹴鞠は優れた文化 

今日の勉強会

宿題は論語と算盤。なかなかに日本文化には合わないように思いつつ、相手を知って己の良さをしるという感じで学びを深めればと思います。

 

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7 老先生の教え。教養人は角突き合わせて競争するようなことはしない。「せり合いがあるとなれば」強いて言えば射の試合のときぐらいか。

しかし、「射礼というものがあり、射場となる堂と庭(てい)との間を二人ずつ並んで出るとき」礼儀を守って昇り降りし、[負けたほうが罰杯(ばっぱい)の]酒を飲まさせられる。

〔すなわち]その試合は、優雅に楽しむのが目的であり】いかにも教養人のものらしい

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ゆとり教育が失敗した理由はみんな一等賞で順位付けをしなかったことだと理解しています。差別とか平等とかが先行し過ぎて、現代は「足るを知る」教育が少ない。あらためて、得意・不得意を知ると=勝ち負けが本人のやる気を出すのは間違いないと実感しています。

しかしこれは成長期、学生時代のこと。

大人になれば、勝ち負けは昇進や給与に繋がるため、恨み、ねたみなど、むしろ悪を生じさせる。社内の勢力争いが企業発展の足を引っ張る。いろんなリスクも感じています。

これは国対国の戦いも同じ。原爆を良い方向に進化させれば電力、悪なら戦争と両極端になる。
バイデンが核のボタンを持っていないとされる。いけいけ中国周辺国のリスクは増大で、世界は不安定でしかなく、発展より退化に向かう。

やはり善の方向に延ばすよう、反省と、切磋琢磨、共存共栄に意識を傾けるべきだと感じます。

ふと、京都御所の蹴鞠(けまり)を思い出しました。
勝敗はないが、相手の蹴りやすいところに蹴った人が称えられる。
まさに、これこそが究極の雅(みやび)なんだと学ばされます。

 

宮内庁HPより
蹴鞠(けまり)は,約1,400年前の大和朝廷時代に,中国から我が国に伝えられたといわれる球戯の一種で勝敗はありません。

我が国では,時代によって宮中において盛んに鞠会が催され,平安時代中頃以降の古文書には,鞠会の記述がしばしば見られます。

鎌倉時代には,武士階級でも盛んに蹴鞠が行われるようになり,室町時代を経て江戸時代に入ると,徐々に一般庶民にまで普及し,謡曲・狂言・浮世草子など様々な所でも題材になりました。

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