生活文化の向上の提案

生活文化の向上提案をメーカーから!!

大阪城公園

大阪城公園

昭和30年代。
アメリカでは1週間の給料でテレビが買えた時代、戦争で10年間開発が中断・ストップしていた日本は、2年分の給料だった。

こういいものを、買ってやらんような男じゃだめやと、命名された洗濯機「愛妻号」

それまで女性が使う電気製品といえばアイロンぐらい。ヒューズ取替えできない、電気怖いというそんな女性には、実演するしかなかった。

今年の初さくら

今年の初さくら

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電気の正しい使い方に始まり、料理教室や試食会。ブランドの宣伝は最後だった。

田舎では洗濯で芋は洗えるか、メリケン粉こねてトースターに、入れたらパンになるのかと問われる時代だったから、ドサ回りの旅芸人のごとく営業部隊は、走る電化教室のトレーラーを日本全国、街から宿へ駆け回った。

月の24日間を移動販売に費やした。

 

さて現代、芋洗洗濯機は完成。芋が洗える を実現したのは、残念ながら外国企業。三洋電機を吸収し、白物家電売上、連続世界一のハイアール。

売上高税引き前利益率は6%。Panasonicの3%を引き離す。

顧客の耳に寄り添い続けることの大事さが身にしみる。
引用.柳田邦男 大いなる決断に加筆。(^^)imageimage

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