(忘備録)生きるため健康のため の 素晴らしい 格言

ある方とのやり取り、重病患者さんに向かって放たれた素晴らしい考え方、メッセージを自身の忘備録として保存、共有します。

私たちも含めて誰しも事情こそ違え、少なからぬ問題を背中に負いながら人生を送っていかねばなりません。無理して「鍛え」なくとも良いのです。 身も心も清く、自然体で・・・兎に角、光のある明るい方に目を向けるのです。その問題が目の前に立ちはだかった時にこそ吾々には「選択肢」が与えられるものであることを忘れてはいけません。

「こだわり」を捨てること

これも大いなる可能性を産み出します。「これしかない!」・「なんとかして・・・」・「好き・嫌い・・・」などといった「こだわる」気持ちを「断捨離」してみるのも方法の一つです。 生きていくには、健康と経済が基本的条件となります。

食べていくためにには一時、自分の「好み」や「主義主張」をも手控えて必要条件を満たす工夫や心の柔軟性も必要となることもあります。 職業の選択も然り。 力まず、肩を張らないこと。

子供たちのことをなんとかしてやらないと

・・・と心配することもありません。 万が一の場合でも、なんとかなるものです。只、その児の好きなことがあれば、身につく「技」にするような方向性を与える機会だけを作ってあげることです。

それが生きていく上での直接・間接的に武器となり、手段になることになります。 私の場合もそうしたことがあります。

 

病魔は常に出るチャンスをうかがっている

ある方にお話したことですが、吾々の社会と同様に病魔は、いつも・どこかでその身を潜めているものであり、中国武漢新型コロナウィルス現象とて同様に、完全に撃退することはほぼ不可能であること。

従い、誰しも「健康を維持する」ためには、病魔をのさばらせない程度に常に健康を優位に保つこと=天秤のようなもの=バランスであること・・・・病因は、<肉体的免疫力の低下>と<ストレス>のアンバランスが大きな要因だといつも思わされています。

・・・ですから、病因の実態を客観的に知りたいのであれば然るべき病院で診察を受け、データをもとに2nd オピニオンを含め病状や治療方法の客観的説明を受けることです。

 

現在の医療技術では<抗がん剤治療>や<放射線治療>などで完治するケースは稀

何らかの副作用によって健全な他の臓器がやられて病状が悪化し、死に至る場合も少なくありません。 そういったことを力説する良心的な医師も少なくありません。

肉体的病因と互角に重要なものは精神的ストレスです。 不自由なく暮らしていけるといった経済的要因とも表裏一体ですが「病は気から・・・」の故事にもあるとおり、バランスなのです。 だから「こだわりを捨てる」ことによってお金の問題や人間関係が好転することも稀ではありません。

明るい職場・積極的な人達との交流も大切です。「こんなことになってしまって・・・」と嘆き悲しむのも人生。 「こんな不幸・不運なことがあったことで・・・こんな機会に恵まれた」と前向きに捉えるのも人生なのです。 私の生き方は、明らかに後者です。

私の場合、死と直面している方と接する機会が多いのですが、「死」を嘆き悲しみ、絶望するのではなく、「死」は今の「生の終着点」かもしれないけれど、それは単なる乗換駅であり、経過駅に過ぎない・・・ 新たな「生」への出発点なんだ!・・どんな世界が待っているんだろう!と期待で胸を膨らませて不安を一掃、笑顔になるのも自分なりの人生観なのです。 自分自身の選択なのです。

大らかに(=生かされているんだから死ぬときまで生きるんだ! なるようになるんだ!とばかり)悩まない生活を送っていただきたいものです。

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