中曽根康弘元首相 ご冥福をお祈りいたします

11月29日、中曽根康弘元首相が東京都内の病院で亡くなったそうです。2015年文藝春秋 若者向けメッセージでは日本は侵略戦争だったとか、日本人としての誇りはあるか?とか言っているようですが、そっくりそのまま返したい話ですね。

 

日航機墜落事故

今も多くの謎を抱えていますが、彼の有名な言葉、「真実は墓場まで持って行く」と、思わせぶりな発言はいったいなんだったのか。

恐らく1985年8月15日群馬県の御巣鷹山日本航空123便墜落事故のことでしょう。彼本人の首謀者論も出ているようですが、個人的には主犯は自衛隊偽装した外人など、アメリカ単独実行後に円高ドル安を強要する道具として使われたのかでしょう。トロン技術者の一掃も含む。

その一月後、中曽根政権がプラザ合意による円高ドル安を行い、その後のバブルで日本が致命的に長期経済低迷したのは有名な話。

  • 1985年 1ドル238円、貿易収支  540億ドル → +12兆円
  • 2012年 1ドル 80円、貿易収支 -720億ドル → -5兆円

遺物精密検査で123便ジェット燃料には決して含まれない多量のベンゼン環は、人為的「火炎放射器」で4~50名とも言われる生存者乗客のカメラを完全に焼いて証拠隠滅したとしか考えられません。ボイスレコーダーは10年経って編集されまくって出てきたというから意味なし。

金融技術より手の技術

アメリカドナルドレーガン大統領とロン、ヤスと親しくし、日本専売公社、日本国有鉄道、日本電信電話公社をJT、JR、NTTとして民営化したのも彼。

売国元祖の瀬島龍三は大本営参謀の立場で日本人60万の関東軍兵士をシベリア抑留地に差し出した張本人。東京裁判でソ連のためにどれだけ日本が悪いか伝えたようです。

中曽根康弘氏がそのフリーメンソン瀬島龍三氏を行革の責任者にし、日本をおかしくしたのは、偶然か、今の竹中平蔵氏でも見られる動き。ちなみに瀬島龍三氏が亡くなった時、中曽根氏以外は誰も慰問にこなかったようですが。まぁそれだけ国際金融資本のやり方は怖いということですね。結局は交渉のためにも日本は核を持つしかないのかもしれません。

せめて天から日本を守ってくださいまし。お悔やみ申し上げます。

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