毎日 お品書きを書く店員

お客さんとの夜ご飯のお店

お盆で少し思い出したビールの味よ再び、ジョッキ一杯だけ味わいながら、大和言葉や神道や仏教などの人から聞きかじった話を60代の方にぶつける

数年前に緊急入院して、余命数年と言われつつ、せめてオリンピックまで生きれればいいと思った命がまだ繋がっている。万博が決まった大阪でもっともっとと思いつつ、人生の後始末をどうするか考えておられる。

人は命の終わりが見えれば、より強く生きる活力が出てくるのだと思う。死を意識することで生を意識するんだ。

一方でこちらもバイオの力で治ってほしいし、毎日お腹に向かって3回も注射する習慣を辞めさせたいと強く思う。治さず継続させるビジネス的手法を伴う医療が主であるなら、もう病院は薬を出すところではなく救急医療だけでいいかもしれない。

 

”ち”は地、血、父、乳...

など植物も人も活かすエネルギーを表す日本の古き良きやまと言葉だ。中国語での当て字のせいでありがたみが減ったが、思いを馳せれば かつての誇り高き言葉を産み、使っていた祖先の生活が想像上でも回帰できる。

毎日、手描きで墨で書いているお品書きを見て、思わず、昔はこうだったと思い出した。

ある種 チベット僧の書く砂曼陀羅のごとく修行の一環にも思える

そして、すごい人は誰に褒めてもらうことを期待してやっているのではないと実感する。つまり誰でも出来ることだとしても、人より多くやることで高みに行けることをこの書で学ばされた気がする。

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