今日の勉強会での読書感想文です。
言志四録(二) 佐藤一斎 講談社学術文庫150-200
174 P.209 師厳にして、道尊し
礼記に「人の主たる者の尊厳が備わって初めて、その教えの道の尊いことが知られる」とある。
故に師たる者は宜しく自ら「師の厳かとは如何なることか。道の尊いとはいかなることか」ということを体験し思察すべきである。
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コンビニトップとの会談で、「いい大学出て酒屋にぺこぺこするな、、頭をめぐらしてこその頭脳だろう」と酒をコンビニで売らせるきっかけを作ったり、大手デベロッパー社長に会ってくれと言われ、目の前で「あんたはサラリーマン社長」だと言い放ったりするが、本当に国を憂う、人にも命にも、真剣に向き合う静かな優しい人だと感じています。
静かなること山の如し とはこういうことか感じた次第です。
師匠先生からの文章(忘備録)
医者を恃んでも手放され、本人はおろか、家族の誰もがどうしょうもなくなったとき、人は神仏に掌を合わせるのです。
普段、妻が横にいてくれても当たり前、炊事洗濯してくれるも当然のこと・・・などと高を括っていてもいざ、このような事態に立ち入ると
家族観や人生を観る世界、視点がガラリと違ったものになるのです。どうしょうもない、どうすればよいのだろうか???・・・・というところにまで追い詰められた先は人間の、ではなく、神仏の領域なのでしょう。
人間が「叡智」を極めてロケットを開発し、宇宙に飛び出した途端、振り返って地球の素晴らしさを改めて実感させられるのです。
宇宙飛行士の誰もがその時、神の存在を知るに至るのです。 戦争で人間同士が殺し合ったり、科学や政治経済という名目下で自然を破壊していく愚かさに気付かされるのです。
自然法則に逆らい、これを無視して<科学万能>を押し通していけば必ずやシッペ返しを喰らい、死に至らしめられることになるのです。
健康で普通に生きていけることがどれほど素晴らしいことであり、代え難い有難さであることか! メーテルリンクの「青い鳥」の話にあるように幸せは遠くにあるのではなく、極く、身近な足元にあるのであり、それは決して「当然のこと」ではないのです。
人間が然るべく生きていけるこの地球のようなプラネットを如何に優れた望遠鏡をもってしても見つかりはしないのです。この地球上に備えられた大自然の力と仕組みを想うに・・・誠に奇跡的な「神業」としか言いようがないのです。
神が創造されたこの大自然の仕組みの中で生まれ、活かされている以上、病気になっても必ずや元の健康な状態に戻る道や具体的な方法が備えれらているはずなのです。
神様が創られた以上、責任をとってもらわねばならないのです。 ただ、その具体的な方法を今の吾々には見つけられないのです。
小生の場合、そのヒントの一つとして<地球上に隈なく存在して生きとし、生けるすべての生物>の管理を委ねられている微生物に着眼し、適用させてもらっているのです。
そんな気持ちで毎日、微生物たちと付き合って発酵開発に勤しみ、病人の方達やその家族の方達と接しているのです。
病気になってから治療をする、というよりも病気にならない体づくり、感染症の犠牲にならないよう社会の仕組みを再構築していく・・・・
国民が汗水たらして納めた税金の4割(40兆円)を医療費に費やすようなバカな社会構造を根底からぶち壊していこうというのがこの老人に与えられた役割なのかも知れませぬ。 残された短い人生の中で「使命」として与えられた「道」なのかもしれません。