柳田邦男さんの書より

掃除洗濯は主婦のいちばん大事な仕事、洗濯板と洗濯桶は嫁入り道具に欠かせないものだという風習がまだまだ根付く行く、洗濯機などは贅沢という考え方が強かった。

せっかく若い奥さんが顔と決心してもお姑さんがいい顔をしないので買うのをやめてしまうんですよ

販売店の人も売れない物をおいといても仕方がないと言うのです。

大阪市役所前

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北浜周辺 土佐堀通りの川

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そこでいや違うんだアメリカをご覧なさい主婦は家事労働から解放されている。

日本も何年かすればそうなのだから販売店はお客様の家に洗濯機を持ち込んで、どんなに便利なものかを教えてどんどん売り込まなければダメだと一生懸命説得しまして、初めての3米のそのこといい続けたでしょうか。

昭和26年、なんとか3万円を切る価格。本格的に売れ出すのは角形の噴流型製造の後から。

昭和30年ごろ。所得水準は、
年収30万以上が180万人
年収100万以上が12万人の時代。

宣伝マンが衣類を靴で踏んで汚しては洗濯機に放り込むと、汚れをきれいに落ちるその繰り返しをする周りには客の人垣ができた。

水の渦の中に洗濯物を巻き込んで汚れを取る噴流式は、ゴトンゴトンとかき混ぜる攪拌式よりはるかにスピーディーだった。

ちなみに、、国内最初に噴流式を手がけたのは、松下幸之助の義弟が、独立して作った井植氏の三洋電機だった。

昭和30年を迎えた頃の洗濯機の普及率はいちばん進んでいた阪神地区で12件に一台、京阪地区では17件に一台、全国では27 8件に一台となっていた。

氷冷蔵庫でさえ収入の高い階層しか持っていない状態なのに、値段が3倍もする電気冷蔵庫など売れるわけがない。冷蔵庫は夏にものを冷やす機会だから洗濯機ほど一般家庭の必需品となる可能性はないだろうとの考え方が強かった。

松下の考え方は違っていた。いや違う冷蔵庫物置だ。今に氷屋はいらなくなる、必ず売れる。

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