平日の今年は、追い込みラッシュの映像仕事もあって天神祭り ギャルみこしはもちろん、宵宮に行くことはできませんでしたが、18時になって開放されたので、イベントを探してみました。

7/24 宵宮18:40から行事「水上薪船」とあったので、バッテリー残のある電源2個とGH5を持ち出し、現地までダッシュしてみました。念のためジンバルとPCも。

 

本格的な神事

HPによると舞台船の一つである「能船」をOAP港に係留し...とあったので、簡易なものを想像していたのですが、結果的には本格的な能が行われていました。アナウンスの記憶が確かなら、お近くの山本能楽堂さんだったような気がしますが確かではありません

いずれにせよ能に対するイメージは、奈良の人間国宝さんの演目を見た際、鎮魂の祀りであって、あの世から主人公を呼んできて亡くなったことを悟らせたり?、本人が悪人とされているなら無念や本心を語らせたりと、さすが世界一長いとされる伝統文化ならではの高尚な行為はさすがだと思っていました。

そういえば日本は鯨のお墓もあって、いまだに供養もする地域もあるようですから、アメリカ人が油取るだけで皮をはいだら捨ててしまっていた鯨漁と比べると、すべて命を頂く行為まるごと高尚ですね。

なぜ天神祭りで能が・・・と思いますが元来、能は申楽(さるがく)がスタートであり、神を喜ばせる行為が田んぼなどの豊作を願ったりと分岐していったと記憶しています。ちなみに円満井座は大和申楽四座の中で最も古い歴史を持ち、大和猿楽=大和国の社寺の神事祭礼で勤仕していました。その血脈は聖徳太子、近侍した秦河勝につながるとされています。(だから芸能の神様に秦氏が言われる。)

風姿花伝世阿弥近頃は若者が曲を書かなくなったが、発展させなければ亡びるといっていました。また去りゆく刹那こそが、風の姿と相まって最もはかなく、美しい。これらを見ようとすることこそ、求道の神髄がある。見えないものを他人に見せる幽玄のむつかしさ。初心忘るべからず。この句、三カ条の口伝あり。是非の初心忘るべからず。時土井の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。

つまり初心は最初の一回でないと。まさに伊能忠敬のごとく、彼が日本地図を書き始めたのは、あの当時の高齢者とされる50歳を超えてから。しかも孫の年の人間に弟子入りするなど、純粋に道を行い役割りを果たした行為そのものですね。

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