新進気鋭のアーティストと神道

日曜日に偶然聞いたラジコ。ネットで聞くラジオですが、ABCの道上洋三さんパーソナリティの番組に出ていた神道や仏教にも通じるスピルチャルな話をしていたゲストの話を聞き、興味をもって思わず調べてみました。

初めて知ったのですがそのゲストは小松美羽さんという画家さんで、出雲大社への新・風土記をはじめ、SONY CMや映画の美術など、どんどん作品が広がり、とても新進気鋭の作家でひっぱりだこのようですね。

インタビューでは、とてもたくさんの人が絵を買っていて大儲けしていて大変ですね(何億も?)、といった皮肉にも聞こえる道上さんの問いに対して、画家の責任はむしろ買ってくれた後であり、その方の人生に対して長い間関わるため、売る=重い責を負う。夫婦のことについてもお互いが高みに上がる・役割を果すために必要なら出会わせてくれると言った風なことをさらっと言っていたのが印象的でした。

配管の汚れた循環水をエアロゾロ状態で吸い込んだら肺炎一直線(笑)

さらには風景画を書かず人を書かないなど自らが感じるままに世の中に人に絵を通じて、自分の役割を果していくと言った神道そのものの言葉にも衝撃を受けましたが、美大時代に訪れた作品が変わる転機となったものは、おじいさんだったか血縁者が亡くなった際に人魂を見たということ。さらに動物が亡くなった時も人魂の時のように、光が見えたことで、人も動物も同じなんだと悟ったとのこと。さらにさらに、四十九日は、故人がこれからどう過ごすかを一緒に見つめる時...といった風なことを言っていました。

 

言うを兼ねる=謙

先日の京都の勉強会では四十九日の幽体や幽界、竜の話も聞けたのでタイムリーでした。

そもそも龍=流でであり、稲妻や、雷とともに用いられるように、ものの動きや流れを表す。意味は大事に際しては大いなる力を発揮し、小事に於いては細やかに動く。まさに大小自在でありますが、実は力強い躍動体を「謙道」ととらえるところに真意があるといいます。

謙というのは「言うを兼ねる」と書きます。十七条憲法の第八条と第九条の繋がり、つまり言行一致人に知らしめて自らそれを行う必要があるというメッセージが含まれています。

やはり信を得る道はここにしかなく、謙を離れたものは暴力でしかなく、結局力強さと躍動体、流動体の象徴として龍があり、自らを省みて戒めとする謙に、相手を敬う礼道としての元がある。龍を通じて世に必要なものを示しているのだと理解できます。

 

あなたはどちらから?

ちなみに先生によると自分が亡くなった時に、地獄は後ろから下方向に引っ張られ、天国は前から上にとのことで、事前に解るから地獄の人は恐ろしくなって逃げてしまう。つまり四十九日を超えても自分の行先に行きたくない人がウロウロしているようです。

途中、真っ暗な道を行く道程もあって故人の家族が氏神さまにお願いをしていると道案内をしてくれるようで、迷わずあの世へ行けるようですから四十九日に何もしないなどは考えられないという訳で。

やっぱりは伝えたい時に、庶民の聞く耳を持たせるために美人を遣わし、メッセージ代行する巫女さん、沖縄のユタのような役割を果すんだと気づいた次第です。

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