整然と並んだ何かの景色をみたら思わず広角レンズを手に取って間を練り歩きたいという欲求が生まれるのはカメラマンだけの性なのでしょうかく・・・
移動撮影の誘惑
かつてドローンが身近でなかった時の道具はもっぱらステディカムとか電子制御のジンバルが使われていました。ステディカムもジンバルもプロが扱うとしても、それなりに慣れが必要だったりします。
特にセッティング時のステディカムはアナログならではのバランス取りが難しく、ネジ一つなくすとバランスが合わなくなり、調整のおもり含めてシステム全体の重量管理が大切でした。
一方で3軸など電子制御のジンバルはある程度メーカーが一眼レフ2Kgまでとかカメラを想定して作っていて、それなりのモーターパワーで動かすから、セッティングとバランス取りは簡単です。
しかし難しいのは、オペレート&滑らかな動き。上下動のぼよんぼよん跳ねるのは、人間がそのように動いているから忠実なのですが映像で見ると、長時間は見るに堪えないものになります。
横風には強く直進性が高いものの、左に曲がるとかパンアップするなど動きながらの視点移動の動作は、難しくなってしまいます。ボタンを押すだけだと単調かつ違和感が出る。
違和感の要因?!
この違和感はおそらく人間がアナログだけにロボット的な映像は、感性に合わないと何かしら拒絶してしまうのかもしれません。
例えば建物を見上げるのに、人間は歩きながら滑らかにみあげるのに対して、ジンバル初心者ならまっすぐ歩いた後、停止してパンナップするパターンになるでしょう。
三脚を使っていたときは歩く動作すらなかったのですから、進化&アナログ的に近づいていますが、まだダメです。この点、セッティングが出来たステディカムは振り子のアナログならではの慣性に従った動きが出来るから、感性に合うのだと感じています。
ポイントは動作と動作の間、つまり間の切り替えがスムーズかどうか。
何が言いたいかというと、違和感のないなめらかな動きを作るにはアナログ的動作が必要で、たとえば上の例だと、2つの動作を同時に行うべきなのです。やはり練習あるのみなのですね。
ふと御堂筋の木を見上げて感じたこと。
光のルネッサンスシーズンだけならまだしも、こんな季節にまで木に光をくくりつける神経が解りません。熱を持たないとはいえ、確実に生きている木にはダメージがあり、さらには明るいがために睡眠妨害にもなるのです。
京都なんかの桜ライトアップをやめるお寺があるのもそれですが、大阪は仕事を産めればそんなの関係ないという感じでしょうか。
そういえば夏の風物詩になった霧が出てくるパイプもおんなじ構造。循環温泉が打たせ湯をやめたというのに未だ死人が出る状況なのに・・・霧状に微細になった水をばらまくという・・・・すべてかけ流し&塩素だから大丈夫とでも思っているのでしょうかねぇ。季節的に温かくなり、バイオフィルムに潜んだ菌の住家から出てきた病原菌を、小さい子供が口を開けて受けるなどの対策があるのか心配です。
アナログ、いや自然に合わせなければ人間は滅びるという感覚が最近はありまして、無知は自らを滅ぼすのだとちょっぴり怖くなりました。