“闘戦経”一部 時は金なり ではなく 時は命なり

今日は日本最古の兵法書 闘戦経(闘戦”教”は字の誤り)の勉強。

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時は金なり ではなく 時は命なり

セミが7年間もぐっていた地中が恋しいと思ってももう遅い。しかも地上では羽を得られても1週間の命。また、薪を燃やしたら灰になったといって、灰はもう薪に戻れない。この事象は一見連続だけれど、不可逆、つまりぶつぶつと切れていることになる。これを禅では、前後裁断と呼ぶ

時があり理がある。これは人にも仕事にもいえること。早送りも巻き戻りも不可能。戻らない今を後悔しないがためにあなた自身、今しか出来ない本命の仕事を全うする必要がある。不得意なものを含めて何もかもやろうと思うと無理。何が重点なのか、やらねばならないものは何なのかを見つけ、その他は専門家に任せる選択が必要なんだ。

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死ぬまで学び続けるから進化できる

国内で出版・解説されている闘戦経とは比べ物にならないぐらい、本来の教えは深いものの、それを仏教や神道など多方面の知識を融合&引用しながら解説できる人は国内にはさほどいません。すでにこの書が書かれた平安末期の作者の意思を大きく超越し、現代人にも役立つ解説になっています。先生さえその役割を最大限にこなしている証です。

ありがたいことに、身近に学べる師がいて 幸せ者です。全国にいる生徒の一人で今日卒業した人は税引き前利益が50倍もアップしたとのことで、経営する人たちにとって精神論のバックアップになっていることを実感しました。
自身の今やるべきはなんだろう。あらためて優先順位を見つめなおします

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