タブレットをもてあそび、声で文字入力する幼い子供、
誤変換さえも許容され笑い事の次ネタに使われるニュースサイト、
コンピュータが自動で言葉を組合せて文章を作る新手のツイートサービス、
講義内容を筆記せず、写真だけで分かったつもりになる学生や社会人、
いろんな進化で、入力は便利に、判読はしやすくなり、作業費も安くなった。
しかし失われたものはなんだろう。
漢字力もセンタリングも、字のうまさも、長文を書く気力も腕力も筆圧もさることながら、伝達力ではないだろうか?
さらに、ポスターやチラシ、販促物などのイラストレーションワークにもそんなところを感じる。クラウドサービスで、常に世界共通 最新バージョンが目の前に広がり、便利な新機能で新しい表現が出来る。
素早くそれなりのものが出来るが、一方で誰がやっても同じに見える気がする。
あの好きだった機能が不人気で割愛された。うー。
新札が出たらすぐ入手してしまい、置いておけば良かったと後悔する気持ちに似ている。はたまた、電話で、声で伝えていたら、ここまで こじれなかったあの日のメールの文章 か。まぁ、この文章がワープロなのはシャレということで。~_~;
とにもかくにも、顔文字を添えるとか、余程でないと個性を出せない現代。
でもやはり人間がアナログなんだから、その本人の心に触れ、感情移入するためには、文章の中身だけでは、受け手も愛と創造力をたくましく 読む体制で望まなければいけない。
一方で、手書きは、それを書く人間のスピード、その時の心の中身が如実に現れる。会社員時代の 東大卒の部長はあまりにも汚さすぎて、解読専用の秘書がいたけれども、10年後、新聞で副社長として登場し度肝を抜かれた。それはさておき、やはり個性は、伝えたいならなおさら下手であっても、表現全てでぶつけるべきなんだと思う。
ということで、タッチ操作で触感。味わい尽くせるタブレット、スマホなんだから、手書きは、有効なんだと思う。脳にも良さそうだ。指示もやりやすい気がする。
アルファベット遊びもいいが、頑張って漢字を思い出そう。(^^)